こんにちは、まるしかです。
絵画を4K,8Kなど高画質で見るのが流行ってますが、
「高画質で拡大できるのはいいんだけど、どこをどう見ればいいのかわからない」
ということがありますよね。
今回はフルサイズ一眼で撮った絵画の高解像度写真を元に、絵の解説をします。
何をというと、印象派!
絵画史の中でも印象派の作品は、絵の具が盛り上がるように置かれていたり、筆の跡が目立つため、一番高画質鑑賞に向いています!
なので印象派を紐解いてみようと思います。
印象派のポイントは次の通り。
- 遠近感の表現が新しい
- 揺らめき・移ろいの表現が新しい
- ものの表面の凹凸の表現が新しい
- エネルギーの表現が新しい
この辺りを解説します。
紹介するのは、コロナ前滑り込みセーフの2月に行ったポーラ美術館での写真です。ここは常設展であれば、写真撮影が可能。しかもコレクションはかなり質が高い。休館期間が明けたらぜひ。
写真は外部の写真共有サイトFlickrにあります。写真をクリックするとそのページに飛びますので、絵をクリックすると拡大、もう一度でさらに拡大できます(PCのみ)。
モネを高画質で鑑賞する
その1:遠近感の作り方が画期的
クロード・モネ『睡蓮の池』1899年 ポーラ美術館で撮影
成功を収めたモネは、パリから75km離れた田舎村ジヴェルニーに家を建て、敷地内にこの睡蓮のある池を作りました。
その後モネは睡蓮ばかり描くようになりますが、この『睡蓮の池』はその最初期に当たる作品です。
一面緑で埋め尽くされていますね。
モネ自身が設計した太鼓橋、カラフルな睡蓮の花。
そしてポイントは、池に映る柳の木です。リフレクションがこの絵の鍵です。
何より不思議なのは、遠近感。
特に池の部分、手前側と奥で圧縮したかのように距離感がなく、のぺっとしてるのにも関わらず、妙な存在感が漂います。
池と地上の境界線がどこにあるのか、いまいちわからないのも変です。
そこで絵をよーく見る。すると発見があります。
池の部分の左上の方の拡大です。もう少し拡大すると・・・
絵の具をチューブから出してそのまま塗ったかのような盛り上がりですね。
花はシミみたいに塗られているけど、色でかろうじて花だなってことがわかります。
このテクスチャーを覚えてください。
池の右下へ。作者の署名が入っている部分です。
さっきよりだいぶ画面がおとなしいですよね!
あんまり絵の具の盛り上がりがなく平坦な表面です。
花も花っぽい形になってきてます。
ここで太鼓橋の部分。太鼓橋も荒っぽい筆のタッチですが、画面の中では比較的ピシッとした線で描かれています。
もう一度全体像に戻りまして・・・
池の睡蓮は、
- めちゃくちゃに絵の具が塗られている奥の方
- 形がそれなりにわかる手前の方
の2部構成になってて、その間に太鼓橋が架かっている、という構成なんです!
太鼓橋の左端に生えている木の存在もこの距離感を裏付けしています。この木と太鼓橋は同じ平面上にあることは間違いないですから。憎い舞台装置ですね。
池の睡蓮の描き方は、カメラで言うところのボケの部分とピントが合ってる部分です。
絵画史では印象派以前の絵画は、遠くを表現するのに霞をかけていました。
白っぽく、または青っぽくして空気を描きましたが、ものの輪郭は崩しませんでした。
『睡蓮の池』が描かれた1899年と言うと、すでにアメリカのコダック社から持ち歩きができるフィルムカメラが誕生していました。
当然のことながら、そのカメラで撮った写真は画面全体にピントが合っています。
遠くのものをボケで表現するのは印象派が始まりなんですね。
その2:揺らめきの新しい描き方
クロード・モネ『睡蓮』1907年 ポーラ美術館で撮影
『睡蓮の池』から8年後に描いた『睡蓮』はわたしたちにとって馴染みのある雰囲気です。
『睡蓮の池』と比べると画面の表面はかなり穏やか。だいぶ印象が違いますよね。
水面だけで地上は描かないという構図は、モネが最初ですね。
それくらい、水の表現に魅せられたのです。
モネが5~18歳くらいまで、ル・アーヴルという港町で育ったのも影響しています。
では作品を拡大してみます。
目を引くのは池のゆらめきの表現です。
S字の細かい青い線がぐにゃぐにゃっとたくさんあります。これがいいんですよね。
実際水面にさざ波が立つとしたら、もっと規則正しい線になってるはず。
クロード・モネ『ラ・グルヌイエール』1869年 メトロポリタン美術館蔵 wikipediaより
↑モネ初期の作品にして印象派の始まりである『ラ・グルヌイエール』では、鮮やかなライトブルーのさざ波が、たくさんの一文字の形で描かれています。
それが『睡蓮』ではまるで生きているかのように、あっちいったりこっちいったりして、「線に沿って水が流れてんのかなぁ」と思わせます。
初期作品と比べるとだいぶ地味な色合いですけどね。このくらいが日本人の感覚には合っていたのでモネは人気なのです。
ルノワールを高画質で鑑賞する:ものの表面の凹凸を表現
ピエール・オーギュスト・ルノワール『レースの帽子の少女』1891年 ポーラ美術館で撮影
続いてルノワール。ルノワールはカラフルですがパステルカラーでモネに続き日本人好みです。
さらに拡大すると・・・
鼻筋やアゴのあたりに注目してください。
筆の跡が顔の形に沿って流れるように残ってます。
これがルノワールの特徴です。
印象派はこれまでの絵画にある暗い影をなくしました。
ルノワールの場合黒を使いませんでした(ある時期のみ)。
上の作品の目もよーく見ると青で塗られています。
色彩に加えて、ルノワールは形に沿った筆の跡を多用することで、ものの表面を描いたのです。
- 輪郭線+陰影 → 筆の跡
こういう変化です。
「まるで毛糸でできているかのようだ」と悪口を言われても、無視してこの技を使い続けました(晩年はもう少しかっちりした作風に変化してます)。
ゴッホを高画質で鑑賞する:筆の跡でエネルギーを表現
フィンセント・ファン・ゴッホ『アザミの花』1890年 ポーラ美術館で撮影
ゴッホが亡くなるわずか1ヶ月前の作品。
画面はものすごい絵の具の量です!
では拡大していきましょう。
ゴッホほど拡大して面白い画家はいないかもしれませんね!
蕾の部分がカップケーキのようです。
アザミの蕾 wikipediaより
こちらが実物のアザミの蕾。ゴッホのは青アザミです。
絵のホイップクリームみたいな部分はアザミのトゲなんですね。
花言葉は「独立、報復、厳格、触れないで」。
晩年精神的に参っていたゴッホの心境がアザミを求めたのでしょうか。
少し離して・・・
花以外で特徴的なのが、アザミの葉っぱの形。
イナズマのようなかなり個性的な形状です。
この形状を覚えててください。
今度は背景と床面に注目。
筆やパレットナイフを駆使して、ミント色の絵の具を塗りたくっています。
それはもう気持ちいいぐらい豪快に。
普通に描くなら特に何もない背景と床面は、そのまんま何もないように描かれるはずですよね?
それがなんでこんな荒らされた雪面みたいなテクスチャーになるのかというと、
「アザミの葉っぱの直線的な形を画面全体に広げて、リズムをとっているから」
です。
テキトーに塗ったくったわけじゃなく、ちゃんと計算してます。
直線で画面を埋め尽くしたのがゴッホの意志で、アザミの力強さが表現されているのかなと。
そうすると、花瓶の同心円状の筆の跡が際立って見えてきます。
陰影表現はかなりテキトーなのに、筆の跡のせいで、なんとなく花瓶の形が立体的に、手にとってわかるような形に見えるのがすごいところ。
もっと拡大すると、キャンバスの地が見えちゃってます。
こんなものは一筆で隠せるのに残しておいた。これは計算だと思うんですよね。
隙間を作ることで筆の跡をより目立たせたのです。
「なぜこんな風に描いたの?」
ということについて詳しく説明しようと思ったのですが、かなり長くなるのでざっくりいうと、
- 印象派は表面の移ろいを描き、結果パターン化した
- 印象派の技術は素晴らしいから、どう進化させるか画家は個人単位で考えた
- 進化の例:点描を使う新印象派に進化した(ゴッホの友達のシニャック)
- ゴッホは植物が持つエネルギーを筆の跡で表現した
ゴッホは後期印象派というカテゴリー(他にゴーギャン、セザンヌの3人)に入ってますが、この名前、誤解されやすいです。
なぜかというと「印象を素早く記録する」という印象派本来の目的とはかけ離れてるからです。
印象派から技術だけ受け継いで、形や色から自由になった最初の第一歩
が後期印象派です。誤解のない書き方をするならば、印象派を超えた次の世代、みたいな感じです。
おまけ・・・ポーラ美術館は他にも有名絵画が揃ってます
印象派の解説に入りきらなかった絵を一挙ご紹介です。
もう一度書きますが、
写真は外部の写真共有サイトFlickrにあります。写真をクリックするとそのページに飛びますので、絵をクリックすると拡大、もう一度でさらに拡大できます(PCのみ)。
印象派の時代周辺の画家
エドゥアール・マネ『サラマンカの学生たち』1860年 ポーラ美術館で撮影
印象派画家たちのお手本となったマネ。マネは印象派の先駆者と言われています。
ポール・セザンヌ『砂糖壺、梨とテーブルクロス』1893-1894年 ポーラ美術館で撮影
ゴッホとともに後期印象派の一人にして近代絵画の父と呼ばれるセザンヌ。ほんとはこの方も解説に入れたかったですね。それはまた後で。
モーリス・ユトリロ『ラ・ベル・ガブリエル』1912年 ポーラ美術館で撮影
20世紀パリで活動したちょっとマイナーな画家ユトリロ。
印象派と同じくらい絵肌に特徴があって拡大してみると面白いです(特に雪や壁のところ)。
独特な表面は下地が厚紙だったからかもしれません。
ピエール・ボナール『ミモザのある階段』1946年頃 ポーラ美術館で撮影
ボナールは日本の浮世絵に影響を受け、平面的な画面構成を使った画家です。
こちらは最晩年の絵。南仏の強い太陽の輝きをオレンジで表現しました。
同時期の日本画家たち
岡田三郎助『あやめの衣』1927年 ポーラ美術館で撮影
ポーラ美術館のパンフとかでよく目にする作品。
油絵の色の濃さが日本画の作風にうまくマッチしてていいですね。
黒田清輝『野辺』1907年 ポーラ美術館で撮影
あんまり日本の画家は詳しくないけどもこの方は知ってます。
日本の洋画家といったら黒田清輝です。黒田の描く人肌ってすごくみずみずしいんですよね。
小山正太郎『濁醪療渇黄葉村店(だくろうりょうかつこうようそんてん)』1889年 ポーラ美術館で撮影
この方は存じませんでした。茶色の発色が綺麗だったので掲載。
タイトルがものすごいですが、どぶろく(濁酒)が売っている黄葉の美しい村の酒屋という意味だそうです。
最後に
今回印象派の初解説でした。まだまだ書きたいことがあったのですが、構成的に軽くまとめました。
絵画の解説記事はこれからも細々と続けていきますのでよろしくお願いします。
それでは!