こんにちは、まるしかです。
㊗️ロンドン・ナショナル・ギャラリー展開催!
イギリスの画家の作品なんてターナー以外滅多にこないよなーと思って、
「じゃあ、イギリスの画家って他に誰がいたっけ?」
と考えたら、あんまり知りませんでした💧
美術館に行けないのを機に、知識を整理します。
今回はイギリスの有名画家!
イギリスが活動拠点であれば、海外生まれの方もイギリスの画家とします。
有名どころを列挙してみると、結構いますね。13人も!
ハンス・ホルバイン(子) | 1497-1543 |
---|---|
アンソニー・ヴァン・ダイク | 1599-1641 |
ウィリアム・ホガース | 1697-1764 |
ジョシュア・レノルズ(レイノルズ) | 1723-1792 |
トマス・ゲインズバラ | 1727-1788 |
ヨハン・ハインリヒ・フュースリー | 1741-1825 |
ウィリアム・ブレイク | 1757-1827 |
J.M.W.ターナー | 1775-1851 |
ジョン・コンスタブル | 1776-1837 |
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ | 1828-1882 |
ジョン・エヴァレット・ミレイ | 1829-1896 |
フランシス・ベーコン | 1909-1992 |
バンクシー | 生年月日未公表 |
ここからはそれぞれの作品をメインに、たまに主観を交えながらご紹介します。
個人的に好きなのがターナーとコンスタブルで、その二人はちょっと情報量多めです😋
イギリスの画家の特徴を簡単に書きますと・・・
イギリスの画家は、絵画史のメインストリーム(ギリシャ→イタリア→フランス→アメリカ)に乗っかったことはありません。
しかし、個性的で、次の時代を予見するような作風の画家がしばしば登場します。
個性的すぎるがゆえに、交流が狭く、ルネサンスとかロマン派とか印象派とか、そういうムーブメントを起こすのは向いていないです^^;
そこは国民性なのでしょうね。
けれども持っている才能や技術は他の国に負けず劣らずで、とっても興味深いはずですよ。
【追記】ロンドン・ナショナル・ギャラリー展行きました!
この記事とセットでどうぞ✋
↓気になる画家の名前をクリックしてください。
- ハンス・ホルバイン(子):リアルな描写に定評のある宮廷画家
- アンソニー・ヴァン・ダイク:ルーベンスの一番弟子
- ウィリアム・ホガース:イギリス絵画の冷遇に立ち向かったパイオニア
- ジョシュア・レノルズ(レイノルズ):イギリス初の美術学校初代校長
- トマス・ゲインズバラ:風景画家になりたかった肖像画家
- ヨハン・ハインリヒ・フュースリー:文学から着想を得た幻想画家
- ウィリアム・ブレイク:死後評価された詩人兼画家
- J.M.W.ターナー:イギリス画家人気No.1の風景画家
- ジョン・コンスタブル:初期は穏やか、後期は荒々しい作風の風景画家
- ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ:ラファエル前派のリーダーの一人。
- ジョン・エヴァレット・ミレイ:イギリス絵画最高峰『オフィーリア』の作者
- フランシス・ベーコン:抽象画に反抗した20世紀の大家
- バンクシー:匿名のストリートアーティスト
- 最後に
ハンス・ホルバイン(子):リアルな描写に定評のある宮廷画家
『ヘンリー8世』1537年頃 ロンドン・ナショナル・ポートレート・ギャラリー蔵 wikipediaより
ドイツに生まれたホルバインは、16世紀、ヘンリー8世の下で宮廷画家としてイギリスで活躍しました。
ドイツ人らしく緻密な描き込みによる質感描写が得意。
ホルバインの描く人物は、硬い表情に決まったポーズが多いものの、人物の内面まで見えるくらい精密な人物描写で、現代に至るまで肖像画のお手本となっています。
(子)と書いてあるのは、父親も同姓同名でそこそこ有名な画家だったからです。親子でお互いをなんと呼んでいたのか気になりますね・・・
上に載せたヘンリー8世の絵は、ホルバイン作品で最も生き生きとしています。
この絵によってヘンリー8世の権威はより高まりました。
支えた先がこんな怖そうな人とは、だいぶ苦心した人生だったと思います。笑
実際ヘンリー8世は臣下や王妃を処刑し、カトリックを嫌いイングランド国教会を創設するなど波乱万丈な暴君です。失態があったらすぐ殺されるんだからたまったもんじゃない。
そんな血の気の多い王に気に入られたのだから、ホルバインはよほど忠実なお方だったのでしょう。
ヘンリー8世については中野京子さんの『欲望の名画』にその暴君ぶりが書かれてて面白かったです。
ホルバインには、その描写がリアルすぎるゆえのエピソードがあります。
『墓の中の死せるキリスト』という作品、
『墓の中の死せるキリスト』1521-1522年頃 バーゼル美術館蔵 wikipediaより
ロシアの文豪・ドストエフスキーがこの絵を前にして、強烈な衝撃を受けました。ドストエフスキーの思想にも大きな影響があったことは彼の作品からも明らかです。
なぜ衝撃を受けたのかというと・・・
イタリアの画家たちがキリストを神々しく描いたのに対して、ホルバインは伝説のヴェールを剥ぎ取り、ただの男性としてリアルに描いたからです。
このキリストが復活するなんて、想像できないですからね。それくらい、想像したまま、見たままを描くこと自体が異質だったのです。
アンソニー・ヴァン・ダイク:ルーベンスの一番弟子
『英国王チャールズ1世の肖像』1635年頃 ルーブル美術館蔵 wikipediaより
ヴァン・ダイクはフランドル(現ベルギー)から召集された宮廷画家です。17世紀、チャールズ1世に仕えました。
オランダの大画家ルーベンスを師匠に持ち、色彩豊かな表現を受け継ぎました。
ヴァン・ダイクの得意技はビロードの艶のある描写ですね。そこはルーベンスを超えてるんじゃないでしょうか。
それ以外の特技は肖像画家らしく顔の描写です。ヴァン・ダイクの描いた肖像画は、彼の死後150年ほどに渡ってお手本であり続けたというからすごい。
上の肖像画は、チャールズ1世のふてぶてしさが見事に表現された代表作です。
師匠のルーベンスと同じくらい人気だったヴァン・ダイクは、工房を構え、弟子と共作で作品点数を稼ぎました。ただあんまり人気すぎて、肖像画以外の作品が少ないです。
ルーベンスのドラマティックな歴史画に比べると地味なので、日本でのヴァン・ダイクの認知度・人気は今ひとつです。
というよりルーベンスがすごすぎなのですね。
ロンドン・ナショナル・ギャラリー展はヴァン・ダイク作品が見られる貴重なチャンスです。服装と顔の描写の巧みさを確認したかったのですが・・・。
ウィリアム・ホガース:イギリス絵画の冷遇に立ち向かったパイオニア
『ジン通り』1751年頃 大英博物館蔵 wikipediaより
ウィリアム・ホガースはイギリスに生まれ、イギリスで活躍した初めての有名画家です。
イタリアの有名画家の作品ばかり売れて、国内はパッとしない肖像画家ばかりの情勢の中、ホガースは教訓画を広めて名を挙げました。
しかもほとんどは彼オリジナルのシリーズ物を絵画で表現。題材は当時の市民の様子を描いたものが多く、カンヴァセーション・ピースという家族の団らん画も流行させました。
油絵の技術も確かではあったのですが、ホガースの名声は銅版画を市民に大量に行き渡らせた結果、確立しました。
上の代表作『ジン通り』も銅版画です。
急速に流行した激安酒のジンが、貧困層を蝕んでいった当時の様子が描写されています。風刺画ですね。
社会にメッセージを送るという意味では、今のバンクシーとやっていることはそこまで変わらないのが面白い。
詳しい描写はこれも中野京子さんの『怖い絵 死と乙女篇』で。
中野さんはドイツ文学者という肩書きですが、イギリスの歴史にも魅力を感じているようで、イギリス画家の作品を取り上げることが多いです。
ジョシュア・レノルズ(レイノルズ):イギリス初の美術学校初代校長
『マスター・ヘア』1788-1789年頃 ルーブル美術館蔵 wikipediaより
レノルズは、イギリスの芸術家を育成するためロイヤル・アカデミーの初代校長を務めました。イギリス美術史上、最も重要な人物のひとり。
古典絵画の様式(グランド・マナー)を重視し、肖像画中心のイギリス画壇という状況の中、立派な歴史画を描くよう教育しました。
ただ、社会を教育するのは大画家といえども難しく、レノルズ本人は肖像画として生計を立てていました。
イギリスの画家は何世紀もの間、肖像画の縛りから抜け出せなかったのです。
彼が意図していた芸術家の地位向上は、19世紀になってからです。
レノルズの絵の特徴は、生き生きとした表情です。
特に女の子の無邪気な表情を最大限に引き出します。
上の『マスター・ヘア』は男の子ですけどね・・・。
彼は子供が大好きで、あやすのが得意な人でした。あやしておいて、印象的な表情を見せてくれればさっと記録し、あとで絵にしたのだそうです。
今を生きていたとしたら、確実にポートレート・カメラマンになっていたでしょうね。
↑日本にも少女を描いたレノルズ作品があります。
大人の女性も例外じゃありません。
昔美術展で見て、個人的にとても印象に残った作品が、大人の色気をかもし出してます。
『ウェヌスの帯を解くクピド』1788年 エルミタージュ美術館蔵 ポストカードを撮影
手のポーズと流し目が印象的だったんですよね!
これも傑作です!
トマス・ゲインズバラ:風景画家になりたかった肖像画家
『アンドルーズ夫妻像』1749年頃 ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵 wikipediaより
レノルズと4歳下のゲインズバラも肖像画家として活躍しました。
レノルズと違うところは、人物描写と同じくらい風景描写も一流という点です。
「肖像画は金のために、風景画は楽しみのために描く」
wikipediaより
もしあと半世紀遅く生まれていたら、風景画の流行に乗っていたでしょう。
上の『アンドルーズ夫妻像』は風景好きが高じて、人物の占める面積が少なくなってしまった例です。お手本のような構図ですね〜!
背景に力が入ってしまいましたけど、それにはちゃんと意味があるんです。
その理由も中野京子さんの『怖い絵 死と乙女篇』で。
ヨハン・ハインリヒ・フュースリー:文学から着想を得た幻想画家
『夢魔』1781年 デトロイド美術館蔵 wikipediaより
これまでの伝統的な肖像画家たちとは一変、フュースリーは物語や詩などの文学から着想を得て、絵画を描きました。
フランスで盛んとなるロマン主義の先駆け的な存在です。メジャーな画家の中ではマイナー寄りのフュースリー、わたしは『怖い絵 死と乙女篇』で知りました(何回出てくるんだこの本・・・)。
上の『夢魔』は、眠っている女性を襲い悪魔の子を妊娠させようとする夢魔(むま。別名;インキュバス)が主題です。
本来であれば夢魔は、誘惑しようと襲う相手の理想の異性像に化けた姿で描かれることが多いです。しかし、ヒュースリーはそのまんま悪魔として描いた。なぜかはわかりません。
20世紀以降氾濫する「醜悪」というテーマをこの時代に描いたという点でも、ヒュースリーは特異な存在かもしれません。
ウィリアム・ブレイク:死後評価された詩人兼画家
『創世の時』1794年 大英博物館蔵 wikipediaより
神秘主義者ブレイクは死後1世紀近く経ってから評価された詩人兼画家です。
典型的な「生まれるのが早すぎた」人ですね。どちらかというと詩の方が有名で、20世紀になってから小説家やロックバンドが、自身の作品にブレイクの詩を引用しています。
上の絵画は天地創造の様子で、手に持ったコンパスで地球を測っています。
この方は限りなく神に近いけども別の存在みたいです。ブレイクは想像上の人物を生み出して神話を創り上げていました。
J.M.W.ターナー:イギリス画家人気No.1の風景画家
『吹雪の中の蒸気船』1842年 テート・ブリテン蔵 wikipediaより
『雨、蒸気、スピードーグレート・ウェスタン鉄道』1844年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵 wikipediaより
『国会議事堂の火事』1835年 フィラデルフィア美術館蔵 wikipediaより
ターナーは19世紀、ロマン主義の風景画家です。
イギリスの画家といえばターナーと言ってもいいくらい有名です!いつ見ても綺麗な色使いにハッとさせられます。
ドラマティックな作風を突き詰めた結果、晩年には大気の動きをメインに描いた作品を描きました。
上の3作品はターナーの代表作。他の有名作品も、後期〜晩年にかけて集中しています。
印象派の幕開けは、1869年のモネの作品からです(『ラ・グルヌイエール』)。
しかし約2,30年前に、印象派の先駆けのような作品を描いていたのが、ターナーのすごいところです。
作風以外で絵画の特徴としては、黄色やオレンジの扱い方が抜群です。
特に、夕焼け・朝焼けの描写は格別です!
『解体されるために最後の停泊地に曳かれてゆく戦艦テメレール号』1838年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵 wikipediaより
『ポリュフェモスを嘲るオデュッセウス』1829年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵 wikipediaより
↑この絵はロンドン・ナショナル・ギャラリー展で展示予定の作品。
↓ここからは昔行ったターナー展から得た雑学↓
ターナーが生きた19世紀はカメラが誕生した世紀。
しかしカメラが出始めの頃は、まだ絵画が写真の役割を果たしていました。
風景を絵にして名所を紹介する。今で言うところのる◯ぶ、ま◯ぷるの写真みたいな風景画を描く仕事をデビュー当時していたみたいです。
なので初期〜中期は鮮やかながらもかっちりとした作風。
転機は1819年のイタリア旅行です。
その後何度もイタリアを訪れ、大気の表現に魅入られ、あの曖昧な表現になったのでした。
ジョン・コンスタブル:初期は穏やか、後期は荒々しい作風の風景画家
『干し草車』1821年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵 wikipediaより
ターナーの一歳下のコンスタブルも有名な風景画家です。
そのためにターナーと比較されやすいのですが、コンスタブルは地元サフォーク州の、のどかな田園風景を主に描いていたのが違うところです。
上の代表作『干し草車』をよく見ると、水辺や木々に小さなハイライトが点々と描かれています。
コンスタブルは風景にハイライトを入れた最初の画家です。17世紀にフェルメールが瞳の中にハイライトを入れたように。風景のハイライトはのちに印象派の作品に頻発します。
ちなみに『干し草車』は母国の反応はイマイチ、パリの出展で大きく反響を呼びました。ロマン派の巨匠ドラクロワは『干し草車』見て、『キオス島の虐殺』を全て書き直したそうです。
『主教の庭から見たソールズベリー大聖堂』1825年 フリック・コレクション蔵 wikipediaより
この絵も、木の枝や葉っぱがところどころ光っていますね。
全体的には、ターナーと違って静かな画面だと思います。
しかし、コンスタブルの後期作品は違います。
『牧草地から見たソールズベリー大聖堂』1831年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵 wikipediaより
新海誠風の美しい作品。雲の描き方が粗いです。
『ストーンヘンジ』1835年 ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館蔵 wikipediaより
『ストーンヘンジ』は死の2年前に描かれた作品です。 手前のストーンヘンジのしっかりした描写と対照的に、空の描き方がラフです。2本の虹も色がなく、なんだかはっきりしません。
『海を覆う雨雲(習作)』1824年頃 ロンドン・ロイヤル・アカデミー蔵 wikipediaより
コンスタブルはもともと印象派っぽいスケッチを残しています。後の時代でコンスタブルの習作は、完成品と同じくらい評価されています。
スケッチで留めていたラフな表現を作品に使ったのは、家族の不幸で精神的に参っていたせいもあるらしいですが、コンスタブルもターナーと同じ境地に辿り着いたのかもしれません。
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ:ラファエル前派のリーダーの一人。
『ベアタ・ベアトリクス』1863年頃 テート・ブリテン蔵 wikipediaより
ロセッティは、19世紀に起きた運動、ラファエル前派の結成メンバーにしてリーダーの一人です。
ラファエル前派というと、次に取り上げる『オフィーリア』を描いたミレイが有名なのです。
ラファエル前派のメンバー。ジュニアブックレットを撮影
しかし『オフィーリア』を除けば、色彩感覚に優れるロセッティの絵画の方が、個人的には好きです。
そのロセッティには、モデルが何人かいました。
まず妻のエリザベス・シダル。
上の『ベアタ・ベアトリクス』、そしてミレイの『オフィーリア』のモデルです。
彼女は不幸な人生だったようです。詳しくは・・・またまた中野さんの本にて。
そして愛人のジェーン・モリス。
『プロセルピナ』1874年頃 テート・ブリテン蔵 wikipediaより
強烈な印象を与えてくる顔ですよね。
ロセッティにとって運命の女性(ファム・ファタル)だったジェーン・モリス。
結局、ロセッティの弟子のウィリアム・モリスと結婚してしまいました。
世間が狭いですねぇ。
続いてよく作品に登場するのがアレクサ・ワイルディング。
この方には手を出していないようですね😅
ジェーン・モリスと同じくらい個性的な顔立ちだと思います。
『魔性のビーナス』1863-1868年頃 ラッセル=コーツ美術館蔵 ラファエル前派の軌跡展(2019年, 三菱一号館美術館)会場にて撮影
『レディ・リリス』1868年 デラウェア美術館蔵 wikipediaより
ラファエル前派は聖書、神話、文学をテーマにモデルを着飾るのを得意としました。
なんとなく、イギリス絵画のイメージってこういう絵なんですよね。
ロセッティはもう少し有名になってもいいと思います!
ジョン・エヴァレット・ミレイ:イギリス絵画最高峰『オフィーリア』の作者
『オフィーリア』1851-1852年 テート・ブリテン蔵 wikipediaより
ジョン・エヴァレット・ミレイもラファエル前派のメンバーです。
彼の代表作『オフィーリア』は、イギリス絵画の中でも特に人気の高い作品です。
オフィーリアとは、シェークスピアの戯曲『ハムレット』に出てくる悲劇のヒロインのことです。
夏目漱石が自身の作品『草枕』で『オフィーリア』を取り上げたためか、日本では知名度の低いイギリス絵画のなかで例外的に知られている絵です。
- 緻密な背景描写
- 鮮やかなグリーン
- 川に身投げしたオフィーリアの、まるで生きているかのような美しい死に顔
これらが相まった結果、文学作品をイメージ以上に映像化した見事な例です。
楽屋裏はちょっと大変だったみたいですけどね。こんなエピソードがあります。
オフィーリアのモデルは、ラファエル前派の代表的なモデルのエリザベス・シダルであり、彼女はそのとき19歳だった。ミレーはロンドンのガワーストリートにあった彼のスタジオ7で、シダルを完全に服を着せた状態で、水を満杯に張ったバスタブの中に横たわらさせた。冬だったので、彼は水を温めるためオイルランプをバスタブの下に置いたが、作品に集中しすぎて火が消えたのに気づかなかった。結果として、シダルはひどい風邪をひいてしまい、彼女の父親はその後ミレーに50ポンドの治療費を請求する手紙を送った。ミレーの息子によると、彼は最終的に少し金額を下げて賠償を受け入れた。こうした騒動はあったにせよ、シダルをモデルにした作品としては、その面影を最もよく伝える作品とされている。
wikipediaより
『オフィーリア』以外でも、緻密な描写が特徴的です。
『マリアナ』1850-1851年 テート・ブリテン蔵 wikipediaより
ちなみにミレイは、ラファエル前派を応援していた批評家 ジョン・ラスキンの奥さんをゲットしてしまいます。これはラスキンが全く結婚に向いていない人だったためで、奥さんの方から出て行かれるという、当時としては珍しい出来事でした。
フランシス・ベーコン:抽象画に反抗した20世紀の大家
フランシス・ベーコンはアイルランドに生まれ、イギリスで活動した画家です。
上の『インノケンティウス10世像の習作』が一番有名です。
わたし、この方は全然詳しくないので、引用で説明させてください。
アイルランド出身の20世紀の画家。抽象絵画が全盛となった第二次世界大戦後の美術界において、具象絵画にこだわり続けた画家で、作品は大部分が激しくデフォルメされ、ゆがめられ、あるいは大きな口を開けて叫ぶ奇怪な人間像であり、人間存在の根本にある不安を描き出したものと言われています。1926年頃から水彩や素描を描き始め、1927年から1928年までベルリン及びパリに滞在し、 1929年からはロンドンで、家具設計、室内装飾などの仕事を始めます。油絵を始めるのもこの頃であるといわれています。1949年には「頭部」シリーズの制作を始め、ロンドンのハノーヴァー画廊で個展を開き、 1954年にはヴェネツィア・ビエンナーレのイギリス館で展示。この頃からベーコンの評価が定着してきます。また、彼は著名な哲学者のベーコンの傍系の末裔で、病気がちだったためか、一般的な教育はすべて個人授業でまかない、美術教育も受けていないと言われています。
出典:https://www.amazon.co.jp/フランシス-ベーコン-Personnage-couche-Maeght/dp/B002SPGXTW
作風としては見た限り、ピカソをベーコン流にアレンジした感じです。
とあるCDのジャケットにベーコン作品がありました。
彼のデビュー作『キリスト磔刑図のための3つの習作』。
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エヴァに出てくるリリスはベーコン作品がモチーフなんでしょうか?
著作権もまだ生きているので、 もしフランシス・ベーコンの絵画をもっと見たいなら、図版を読むといいです。
バンクシー:匿名のストリートアーティスト
バンクシーは生年月日はおろか正体も不明の、匿名ストリートアーティストです。一人なのか、集団なのかもわかっていません。
2000年頃からイギリスを拠点に活動しています。意外と活動歴は長いですね。
バンクシーはサザビーズオークションで、落札直後の上の絵がシュレッダーにかけられるニュースで知った方は多いと思います。わたしもその一人。
シュレッダーにかけられても、『赤い風船に手を伸ばす少女』→『愛はゴミ箱の中に』に改題されて、それで作品として成り立つのだからすごいですよね。
バンクシーは壁にステンシルという技法で絵を描いています。
wikipediaより
上のような型紙を壁に当てて色のついたスプレーを吹きかけると、瞬時に絵になるというものです。
なぜ絵筆を使わないかというと、単純にさっと描いて早く逃げたいからなんですよね。笑 非常に合理的。
ステンシル技法を使ったストリートアーティストは、実はバンクシーが初めてではありません。
1980年代にブレック・ル・ラット、別名「ステンシル・グラフィティの父」というフランス人アーティストが最初です。
https://en.wikipedia.org/wiki/Blek_le_Rat
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バンクシー作品はこの方のより皮肉混じりでメッセージ性が強いのが特徴です。
ベトナム戦争の有名な写真のやつですね。
火炎瓶ではなく花束というのがポイント。ただの皮肉ではない発想は好きです。
バンクシーはアートをイベントに変えました。
イベントでは、人々の反応も芸術作品の一部です。シュレッダー事件はまさに彼の代表作ではないでしょうか。
最後に
以上、イギリスの有名画家・絵画の解説でした!
調べてみると結構好きな作品が多い。イギリス絵画の今の知名度は少しもったいない気がします。
この記事でイギリス絵画に興味を持ってくれたら嬉しいです。
それでは!
【追記】有名画家解説のベルギー編を書きました。